プロ野球審判関連ニュース(随時更新)

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2006年7月4日

パ・リーグの山本隆造審判員(50)は4日、楽天−ロッテ9回戦(フルキャスト宮城)で球審を務め、通算2000試合出場を達成した。パ・リーグ審判員として24人目、現役で3人目。

2006年5月5日

セ・リーグ審判員、上本孝一氏(うえもと・こういち=元広島捕手)が5日午前11時40分、心筋こうそくのため、埼玉県朝霞市の自宅で急死した、43歳だった。4日のデーゲーム中日−横浜戦(ナゴヤドーム)で一塁塁審を務めた後、自宅に戻っていた。
京都・西舞鶴高から捕手として81年のドラフト5位で広島入団。85年からはセ・リーグ審判員で通算1412試合に出場した。

2006年5月3日

セ・リーグの小林和公審判員が3日、甲子園球場で行われたタイガース-ジャイアンツ5回戦で1塁塁審を務め、公式戦500試合出場を果たした。

2006年5月2日

セ・リーグの萩原達也審判員が2日、神宮球場で行われたスワローズ-カープ4回戦で1塁塁審を務め、公式戦初出場を果たした。

2006年4月22日

21日の巨人−阪神1回戦(東京ドーム)の試合中倒れたセ・リーグ渡真利克則審判が22日、都内の病院を退院した。今後は自宅で静養する予定。
井野セ・リーグ審判部長は「心臓のことだから、当分は療養してもらうことになると思う」と説明した。

2006年4月21日

21日に東京ドームで行われたジャイアンツ−タイガース1回戦の4回、渡真利克則球審(43)が突然倒れ、そのまま担架に乗せられて検査のため救急車で病院に向かった。
渡真利球審は井川が小坂に5球目を投げようとしたとき、捕手の矢野に覆いかぶさるように倒れた。自力で起き上がったが、矢野に抱きかかえられ、立つのがやっとの様子だった。
なお、試合は三塁の井野審判員が球審に回り、控えの有隅審判員が三塁塁審に入って続行された。

2006年4月12日

パ・リーグの福家英登審判員が12日、スカイマークスタジアムで行われたバファローズ-ライオンズ3回戦で2塁塁審を務め、公式戦初出場を果たした。

2006年4月7日

パ・リーグの山路哲生審判員が7日、千葉マリンスタジアムで行われたマリーンズ-イーグルス1回戦で公式戦初球審を務めた。

2006年4月1日

パ・リーグの栄村隆康審判員が1日、仙台フルキャストスタジアムで行われたイーグルス−ホークス2回戦で通算1000試合出場を達成した。

2006年4月1日

セ・リーグの橘高淳審判員が1日、東京ドームで行われた巨人−横浜2回戦で通算1500試合出場を達成した。セ審判員では通算35人目。

2006年3月28日

パ・リーグ鈴木章太審判員は、3月28日千葉マリンスタジアムで行われたマリーンズ-ファイターズ第1回戦において、2塁塁審として公式戦初出場を果たした。

2006年3月15日

パ・リーグは14日、審判員として工藤和樹氏(26)を採用したと発表した。
工藤氏は元阪神工藤一彦氏(現評論家)の長男で、関大一高から関大に進み、高校時代はロッテ久保投手と同期で、同じ投手出身。
これまで仮採用で研修を受けていた。

2006年2月1日

2006年パ・リーグ審判員のキャンプ割当は以下のとおり。(敬称略)

2006年1月6日

セ・リーグは5日、審判員として村山太朗氏(22)を採用したと発表した。村山氏は東京都出身で、日大を今春卒業見込み。都高野連審判員の資格もある。

2005年12月28日

パ・リーグは28日、関東所属の山路哲生審判員(26)、鈴木章太審判員(25)を来年1月2日から2月5日まで、米フロリダ州のアカデミー・オブ・プロフェッショナル・アンパイアリング(通称ジム・エバンス審判アカデミー)へ研修のため派遣すると発表した。
パ・リーグの同アカデミーへの研修派遣は1991年以来10度目、通算22、23人目となる。

2005年10月21日

本年の日本シリーズの出場者および配置が下記のとおり発表になった。

【審判員】
パ・リーグ/中村 稔、佐藤純一、東 利夫、山本 隆造
セ・リーグ/井野 修、谷 博、森健次郎、真鍋勝己

【公式記録員】
パ・リーグ/山川 誠二、近江屋 拓(補助)
セ・リーグ/東水流幸二、山本勉(補助)

【配置】
第1戦 PL中村 1B森 2B東 UK谷 LL山本 RL真鍋 (控:佐藤・井野)
第2戦 PL真鍋 1B山本 2B森 UK東 LL井野 RL佐藤 (控:中村・谷)
第3戦 PL佐藤 1B井野 2B山本 UK森 LL中村 RL谷 (控:東・真鍋)
第4戦 PL谷 1B中村 2B井野 UK山本 LL真鍋 RL東 (控:佐藤・森)
第5戦 PL東 1B真鍋 2B中村 UK井野 LL佐藤 RL森 (控:山本・谷)
第6戦 PL森 1B佐藤 2B真鍋 UK中村 LL谷 RL山本 (控:東・井野)
第7戦 PL山本 1B谷 2B佐藤 UK真鍋 LL東 RL井野 (控:中村・森)
第8戦 PL井野 1B東 2B谷 UK佐藤 LL森 RL中村 (控:山本・真鍋)

2005年9月8日

セ・リーグの豊蔵一会長は8日、審判員への暴力行為で退場処分となった阪神の平田ヘッドコーチに出場停止1試合と厳重戒告処分を科した。また試合中断を長引かせた岡田監督と、対応を誤った審判員(友寄、橘高、上本、嶋田)4人にも厳重注意処分を科した。
7日の中日―阪神19回戦(ナゴヤドーム)の九回、平田コーチは本塁上でのクロスプレーがセーフと判定されたことを不満とし、橘高球審の胸を突いて退場を命じられた。岡田監督も判定を不服とし、選手をベンチへ引き揚げさせて試合を18分間中断させた。審判団も岡田監督の行為に対し、規則の厳格な適用を怠って中断を長引かせる一因となった。

2005年9月4日

西武のアレックス・カブレラ内野手(33)が4日のソフトバンク戦(福岡ドーム)で、柿木園球審への侮辱行為により今季2度目の退場処分を受けた。パ・リーグの退場処分は今季13度目で延べ10人となった。
カブレラは6回1死から見逃し三振。この判定を不服とし、暴言を吐いた。

2005年9月3日

3日、札幌ドームで行われた横浜-阪神19回戦で、上本球審がボールカウントを間違える「珍事」があった。3回二死走者なし、横浜・佐伯の打席で、安藤がボールカウント2-3から投げた球は「ボール」の判定。本来ならこの時点で四球で、佐伯も一塁へ歩きかけたが、球審が呼び戻して試合を続行した。佐伯は次の球を打って左前安打とした。この間、横浜側から抗議はなかった。
上本球審は試合後、自分の誤りを認め、「気がつかなかった。ミスとしか言いようがない」と話した。横浜の田代打撃コーチは、「四球だとは思ったが、佐伯が戻ったので自分の勘違いかと思った。(四球だと)声を出さなかったことは恥ずかしい」。記録上は「カウント2-4からの左前安打」となる。

2005年9月1日

セ・リーグの佐々木昌信審判員は1日、巨人-ヤクルト17回戦(松山)で通算1000試合出場を達成した。初出場は1995年5月の広島-阪神戦。セ・リーグ46人目。

2005年8月31日

セ・リーグ嵯峨美樹公式記録員は31日、タイガース-ドラゴンズ戦(甲子園)において通算500試合出場を達成した。セ・リーグでは13人目。

2005年8月9日

セ・リーグの真鍋勝己審判員(37)は中日-阪神13回戦(ナゴヤドーム)で一塁塁審を務め、通算1000試合出場を達成した。セでは通算45人目、現役で9人目。

2005年7月31日

ロッテのベニー・アグバヤニ外野手(33)が球審への暴言で退場処分を受けた。退場者は今季パ・リーグで8人目(10度目)。ベニーは1回の第1打席で内角低めの球の判定で山村球審に抗議した際に暴言を吐いた。

2005年7月30日

横浜の種田仁内野手(34)が30日の広島戦(広島市民)の五回、一塁走者として村田の右翼線二塁打で本塁を突いた際、アウトの判定を不服として上本球審に暴行を働いたとして退場処分を受けた。

2005年7月19日

阪神のスペンサー外野手は19日、横浜11回戦(甲子園)で嶋田球審への暴言により退場処分を受けた。セ・リーグの退場者は5人目(6度目)。
スペンサーは7回無死一塁で、見逃し三振とされた判定を不服として暴言を吐いた。

2005年7月19日

パ・リーグの小池唯夫会長は19日、16日のロッテ戦で審判員への暴言で退場となったオリックスの仰木彬監督(70)に厳重注意処分を科した。
また、18日の楽天戦で審判員に対する侮辱行為で退場処分を受けたソフトバンクのズレータ内野手(30)には厳重注意と制裁金10万円を科した。

2005年7月18日

ソフトバンクのズレータ内野手は18日、ヤフードームでの楽天12回戦の4回、三振を喫した際の球審への侮辱行為で退場処分を受けた。ズレータの退場処分は5月5日に続き今季2度目。
ズレータは見逃し三振となった5球目のストライクの判定を不服として、ベンチに戻る際に本塁付近へバットを放り投げた。ズレータは昨季も3度の退場処分を受けている。

2005年7月16日

16日のロッテ-オリックス8回戦(千葉)で、オリックスの仰木監督が審判員への暴言で退場処分を受けた。同監督の退場は、投手交代をめぐる抗議が遅延行為とされた6月4日の広島戦に続いて今季2度目。
オリックスは七回一死二、三塁でサイモンの内野ゴロの間に三走・谷が本塁を突いたが、山崎球審はアウトを宣告。仰木監督は「タッチをしていない」と抗議した際に、同球審に暴言を吐いた。
山崎球審「タッチしたと判断しました。監督はノータッチという抗議? そうです。暴言の内容は監督に聞いてください」
仰木監督「同点で1死一、三塁になるはずが、たまらんよ。セーフは間違いない。まあ、山崎(球審)はストライク、ボールの判定はいいできやった。ジャッジひとつでどうとは言わんけど…。罰金が来ても払わんぞ! 罰金がくるようなら、連盟の会長も事務局長も退場や!」

2005年7月9日

パ・リーグ山路哲生審判員は、7月9日フルキャスト宮城球場で行われたイーグルス-マリーンズ第9回戦において、3塁塁審として公式戦初出場を果たした。

2005年6月15日

セ・リーグの豊蔵一会長は15日、球審への暴言で退場処分となった中日のアレックス外野手(33)に厳重注意と制裁金10万円の処分を科した。
アレックスは14日にナゴヤドームで行われたオリックスとの4回戦の9回、見逃し三振となった際のストライクの判定を不服とし、真鍋球審に暴言を吐いた。今季セ・リーグ4人目(5度目)。

2005年6月4日

4日の広島-オリックス5回戦(広島)で、投手交代をめぐってオリックスの仰木彬監督が抗議し、試合が9時16分から44分間中断した。仰木監督は遅延行為で退場処分となった。
3点を追う広島が8回2死一、二塁から代打浅井の適時打で1点を返した直後、オリックスの投手が加藤から菊地原に交代すると場内アナウンスされた。しかし、仰木監督は交代を告げていないと審判団に抗議した。

2005年5月29日

巨人のローズ外野手は29日、オリックス6回戦(スカイマーク)で佐藤球審への暴言により、今季2度目の退場処分を受けた。通算の退場数は9度目となり、金田正一元ロッテ監督を抜いてプロ野球最多となった。
同外野手は3-3の延長12回2死二、三塁で、見逃し三振を喫した際のストライクの判定を不服とし、佐藤球審に詰め寄り暴言を吐いた。

2005年5月8日

セ・リーグの豊蔵一会長は8日、審判員への暴言で退場処分となった西武のアレックス・カブレラ内野手(33)に、厳重注意と制裁金10万円の処分を科した。
カブレラは7日の交流戦、広島2回戦(広島)の9回の守備で、内野安打のセーフの判定に対する不満から真鍋一塁塁審に暴言を吐いた。交流戦で試合を主催するのが広島だったため、セ・リーグ会長が処分を下した。

2005年5月5日

中日のタイロン・ウッズ内野手が5日、ヤクルト6回戦(ナゴヤドーム)で、ヤクルトの藤井秀悟投手に対する暴力行為で退場処分を受けた。セ・リーグでは今季2人目。藤井投手は頚(けい)部および右頬(きょう)部打撲のけがを負った。
なお、ウッズ内野手には、6日にセ・リーグより出場停止10試合、制裁金10万円の処分が下された。

2005年5月5日

福岡ソフトバンクのズレータ内野手は5日、大阪ドームでのオリックス9回戦の5回、飯塚球審に暴言を吐いて退場処分を受けた。パ・リーグでの退場処分は今季初めて。ズレータはこの回の3球目に空振りととられた判定を不服とし、三振を喫した後で球審に暴言を吐いた。

2005年4月29日

パ・リーグの東利夫審判員は29日、ソフトバンク-ロッテ7回戦(ヤフードーム)の球審を務め、1500試合出場を達成した。リーグ38人目。初出場は1987年4月12日の阪急-南海3回戦(西宮)の左翼線審。

2005年4月28日

28日の阪神-中日6回戦(甲子園)で小林和公球審が負傷し、球審が交代するアクシデントがあった。1回、中日・福留のファウルチップが同球審のマスクの左前頭部を直撃。首の痛みなどを訴えて兵庫県西宮市内の病院に運ばれた。レントゲンなどの検査で、異常はなかった。
なお、試合は、それまで2塁塁審を務めていた本田審判員が球審を、控えの杉永審判員が2塁塁審を務めて続行された。

2005年4月5日

4月5日の横浜・巨人 1回戦(横浜スタジアム)において、延長10回の表、ジャイアンツのローズ選手は、森球審に見逃しの三振を宣告された際、その判定を不服として球審に詰め寄り暴言を吐き退場処分を受けた。両リーグを通じて今季初の退場処分。

2005年4月4日

パ・リーグ橋本信治審判員は、4月4日西武ドームで行われたライオンズ-マリーンズ第1回戦において、3塁塁審として公式戦初出場を果たした。

2005年4月2日

4月1日、仙台でのイーグルス-ライオンズ戦で球審を務めた栄村隆康審判員は、試合中に右手人差し指にファウルチップを受け、左手でジャッジするなどして試合を成立させたが、試合後仙台市内の病院で診療を受け「右手人差し指付け根部分の骨折」(全治1ヶ月)との診断を受けた。
なお、同カードには、飯塚富司審判員が福岡から急遽仙台入りした。

2005年2月11日

元パ・リーグ審判員の平林岳さん(38)が今期、米マイナーリーグのガルフコースト・リーグ(フロリダ州)と審判員契約したことがわかった。

2005年2月6日

2005年セ・リーグ審判員のキャンプ割当は以下のとおり。(敬称略)※ *印の審判員が各地を不定期に巡回

2005年2月1日

2005年パ・リーグ審判員のキャンプ割当は以下のとおり。(敬称略)

2005年1月31日

(株)エスエスケイは、セ・リーグと2005年のセ・リーグ審判用品を供給する契約を結んだ。契約期間は平成17年1月1日から平成17年12月31日までの1年間。この契約により、セ・リーグ審判全員が、公式戦および練習でSSKのシャツ・スラックス・グランドコート・シューズ(塁審用)・帽子・バッグを使用する。

2005年1月27日

1月1日付けでのパ・リーグ連盟人事は下記のとおり。(敬称略・掲載が遅くなりすみませんでした)

2005年1月6日

セ・リーグは審判部員として原信一朗氏(25)を採用した。
東京都出身。昭和第一高、札幌学院大で一塁手として野球経験があり、2003年に都の高校野球連盟の審判も務めた。同リーグが昨年始めた審判養成講座の8人からただ一人の合格者となった。「3年越しの夢。自分の出来ることをこつこつやっていく」と語った。

2005年1月4日

セ・リーグの萩原達也審判、牧田匡平審判員が4日、審判学校への留学のため米フロリダ州に向けて旅立った。
2人にとっては3年越しの挑戦。2003年1月に渡米するも、中継地アトランタでの入国手続きの際就労ビザ未取得を指摘されて入国できず、雑居房のようなところで一夜を過ごし強制送還された。それまでは審判学校への入学証明書だけで入国できていたが、同時中枢テロの影響で厳しくなっていた。昨年はビザ申請が間に合わず。今回は連盟側が書類を完璧に揃えて2人を送り出した。2人は「アトランタの雑居房は寒かったよなあ」と2年前を思い出しながら、「ようやく実現できるチャンス。しっかり勉強し、成長して帰ってきます」と話した。
2月9日に帰国予定。

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